ヘイト・スピーチ解消法成立に際しての声明
2016年5月24日
外国人人権法連絡会
(共同代表:田中 宏/丹羽雅雄/渡辺英俊)
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本日、衆議院本会議において、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(以下、ヘイト・スピーチ解消法)案」が可決され、成立した。
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差別に苦しむマイノリティと、共に差別と闘う人々は、長年、反人種差別法を求めてきた。しかし、日本が1995年に人種差別撤廃条約に加入してからでも既に20年もの間、国は人種差別撤廃立法を行う責務を怠ってきた。私たちは、この間のヘイト・スピーチの急激な悪化、蔓延に対し、国が差別の被害を認め、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃政策を構築する第一歩となる、人種差別撤廃基本法を求めてきた。
今日成立したヘイト・スピーチ解消法は、人種差別撤廃基本法ではなく、外国出身者へのヘイト・スピーチに特化した理念法である。それでも本法は、在日外国人に対する「差別的言動」が、被害者の「多大な苦痛」と「地域社会に深刻な亀裂を生じさせている」という害悪を認め、その解消を「喫緊の課題」(第1条)であるとして「差別的言動は許されないことを宣言する」(前文)ものであり、日本におけるはじめての反人種差別理念法としての意義を有する。
国がヘイト・スピーチを放置し、むしろヘイト・スピーチデモや街宣を警察が守っているようにしか見えない事実が、被害者をより苦しめ、社会全体への絶望感をもたらして来たことからすれば、国が放置でも「中立」でもなく、反差別の立場に立ったこと、反差別が国と社会の標準となったことは、差別の根絶に向けた第一歩となりうる。
たとえば、本法は「不当な差別的言動は許されない」とし、国及び地方公共団体が解消に向けた取組みを推進する責務を定めており、警察も公的機関としてそのような責務を負う。また、第3条は国民に、不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努力することを求めているが、カウンター活動はまさにこのような努力にあたる。よって、警察は、本法に則った適切な活動を行うべく、①全警官に対する人種差別撤廃教育を制度化し、②ヘイト・スピーチを行う人々が犯罪にあたる行為を行った場合には迅速・適切に法を適用し、③カウンター活動をできる限り尊重し、暴力的衝突を避ける限度で謙抑的に対応することなどが求められる。
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他方、本法には見過ごすことのできない問題点がある。特に、保護対象者を「適法に居住するもの」に限定する定義を入れたことは、反差別法の中に差別的要素を混入させたものであり、大きな誤りである。人種差別撤廃条約の解釈基準として人種差別撤廃委員会が示した「市民でない者に対する差別に関する一般的勧告30」における「人種差別に対する立法上の保障が、出入国管理法令上の地位にかかわりなく市民でない者に適用されることを確保すること、および立法の実施が市民でない者に差別的な効果をもつことがないよう確保すること」(パラ7)との勧告に真っ向から反する。よって、速やかに本法を改正して、適法居住要件を削除すべきである。
また、本法の解釈としても、適法居住要件を満たさない者への不当な差別的言動を本法が許容しているわけではないことは、法務委員会において二名の発議者が何度も明言したこと、また、衆参両法務委員会において全会(派)一致で採択した附帯決議において、本法の趣旨、憲法及び人種差別撤廃条約の精神に照らし、「第2条が規定する『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、適切に対処すること」とされたことからも明らかである。
改正までのあいだも、同要件は法律の上位規範である条約に違反しないように解釈されなければならず、運用上ないものとして扱われるべきものである。今後、各地で作られる条例に、同様の要件を入れることなど決してあってはならない。
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その他、本法には、反差別法としては以下のように、不十分ないくつかの点がある。「不当な差別的言動等を勘案し、必要に応じ、検討が加えられるものとする」との検討条項(附則第2条)に基づき、今後の改正を求めるとともに、当面、本法の適切な運用により不十分な点をできる限り補充し、差別撤廃の取組を前進させるべきである。
(1)ヘイト・スピーチの解消を喫緊の課題とし、「差別的言動は許されない」とする以上、何より実効性が求められるが、禁止条項が入らなかった点は極めて不十分と言わざるを得ない。本来、人種差別撤廃条約で、人種差別を「禁止し終了させる」義務を国も地方公共団体も負っているのだから、罰則はなくとも、条文上、違法と宣言すべきであった。
他方、両院の附帯決議で、人種差別撤廃条約の「精神に鑑み、適切に対処する」こととされ、「禁止し終了させる」ことを求めている同条約を本法の解釈指針とできることが、より明確になった。これを生かし、私たちは、本法の運用により、ヘイト・スピーチを抑止する実効性を追求する。
例えば、本法第4条2項にもとづく地方公共団体が不当な差別的言動の解消に向けた取組として、公共施設の利用に関する条例につき、「人種差別行為が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に明らかに認められる場合」等は制限しうるとの改正やガイドラインの策定を求めていく(2015年9月7日付け東京弁護士会「意見書」参照)。
(2)本法第2条の「不当な差別的言動」からの保護の対象として、アイヌ、琉球・沖縄などの人種的・民族的マイノリティが入っておらず、人種差別撤廃条約の求める義務を果たしていない。
人種差別撤廃委員会は、これらの人種的・民族的マイノリティに対する差別が同条約の人種差別に該当することを認めているから、本法はこの点についても同条約に適合するように解釈されなければならない。附帯決議第1項が条約の精神をあげ、2条の定義以外の人々への不当な差別的言動も許されないことを示したこと、参議院法務委員会の審議において発議者がアイヌ民族に対する不当な差別的言動もあることを認めたこと、両院法務委員会の附帯決議第3項で、インターネットを通じて行われる不当な差別的言動について、その保護の対象を本邦外出身者「等」としたこと等からも、本法の運用にあたり、保護されるべき対象は、人種差別撤廃条約が求めるすべての人種的・民族的マイノリティとされるべきである。
(3)さらに、解消すべき対象が、「不当な差別的言動」に限られ、差別的取り扱いがはずされたが、差別的言動は、人種差別の一形態であり、人種差別撤廃条約はあらゆる形態の人種差別の撤廃に取り組むことを締約国の義務としている。
この点は、両院附帯決議第1項に加え、衆議院附帯決議第4項が、「不当な差別的取扱いの実態の把握に努め、それらの解消に必要な施策を講ずるよう検討すること」と明記された。すでに法務省は「外国人の人権状況に関する調査」に着手しており、今年度末までにその結果が発表される予定である。この調査の結果及びその他の地方公共団体や民間の調査結果に基づき、来年度には人種差別撤廃基本法の制定を求めていく。
(4)地方公共団体の責務が努力義務とされたことは、本来、人種差別撤廃条約が、国のみならず、地方公共団体を含む公的機関に対し差別撤廃を求めていることから不十分である。ただし、両院の附帯決議において、「地域社会に深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体においては国と同様に、その解消に向けた取組に関する施策を着実に実施すること」が求められている。よって、特に差別デモ、街宣活動が行われてきた地方公共団体に対し、4条2項に基づき、不当な差別的言動の解消に向け、地域の実情に合わせ、不当な差別的言動をはじめとする差別の実態調査を行うことや、差別の解消にむけた基本方針と具体的施策を定める基本条例等を整備することを求めていくことができる。
(5)そのほか、基本的施策の内容がすでに実施されている相談、教育、啓発に限定され、国に解消にむけた基本指針策定義務や調査義務、結果報告義務がないこと、調査・政策提言を行う専門家などからなる審議会の設置がないこと、実態調査や被害者からの意見聴取が義務付けられていないこと、財政上の措置がないことなど、野党法案と比べれば、実効性が弱いとの問題点がある。
これらについても、運用上できる限りの実効性ある具体的な取り組みを求めるとともに、法改正ないし新法を求めて行く。
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私たちは、対処しうる「法律がない」との一言で長年被害者が煮え湯を飲まされてきたこと、ヘイト・スピーチがもたらす恐怖、絶望と苦痛、平穏な日常生活などの破壊などの被害の状況が極めて深刻であり、すでにマイノリティへの暴力が漸増しつつある危機的状況にあるとの現実から出発する。本法を反人種差別法の出発点とし、各現場で、国および地方公共団体を動かすための力とし、反差別の取組みを拡大、深化させるだろう。
日本は、定住外国人に対する差別禁止政策において、2010年時点で100点満点中14点の最下位で「致命的に取り組みが遅れて」いると評され、2014年時点でも22点で、38ヶ国中37位である(「移民統合政策指数(MIPEX)」2010年、2015年)。このような状況を大きく変える法整備が不可欠である。
法務省は今年度予算において、2020年オリンピックにむけ、「人権大国・日本の構築」を目標として掲げたが、本法はその出発点に過ぎないことを確認し、国際人権基準に合致した法整備を急ピッチで行うことが求められる。私たちは、あらゆる差別の根絶のために、人種差別撤廃法制度の整備にむけ、今後とも力を注ぐ所存である。